雑記 っぽい/がち/気味
N3で登場する「みたいな」のともだち。
っぽいとがちと気味。
私たちも感覚で使い分けていますが、日本語を勉強する学生から見るととっても困るようで。
①っぽい
「みたい」に置き換えが可能。
本当はそうじゃないけど、そう見える/感じる
・あの人の髪型、羊っぽいね。
・こどもっぽい考え方です。
・この模様笑ってるっぽい。
ちなみに「っぽい」をつけると形容詞のような働きをします。
〜っぽい/〜っぽくない/〜っぽくて/〜っぽくなかった
い形容詞の肯定否定現在過去と同じですね。
②がち
N4で勉強した「やすい」のものの性質に言い換えることができることが多いです。
よく〜。〜が多い。〜の傾向がある。
ですから、「みたい」「っぽい」のように似ているという意味は含まれていません。
・幼い頃は病気がちだった→病気になりやすかった。
・彼は肝心なときに間違えがちだ→間違えやすい。すぐ間違える。
・知らない国について、私たちは誤解しがちだ。→よく誤解する。
③気味
他の2つに比べてより感覚的なことばになります。
〜という感じがする。いつもとは違う体や心が感じる感覚の快・不快。
ネガティブな言葉・体の不調を表す言葉と仲がいいです。
(貧血・緊張・疲れ・遅れ・太り など)
・先週からずっと風邪気味だ
・あのトンネルはなんだか気味が悪い。
・大口の取引が決まって彼は興奮気味に報告した。
N2 文法 〜のことだから/〜に限って
N2文法
AのことだからB:いつものAから考えてB
Aに限ってB:信じているAだからB
例文で出した状況から学生が言い出ししたことをまとめました。
例文:
いつも真面目なワサビさんがカンニング!?
とても信じられません!・・・信じがたいです。
ワサビさんがカンニングなんて信じがたいです。
すると学生が。
「限って」と同じですか???
はじめ意図がわからず、聞き直すと
「ワサビさんがカンニングなんて信じがたいです。
ワサビさんを特別信じています。
ですから、ワサビさんに限ってカンニングしない、ですね」
すばらしい。
ワサビさんがカンニングなんて信じがたい。
↓
ワサビさんに限ってカンニングするはずない。
ワサビさんのことだからカンニングなんてしない
読解などに有効な言い換えです。
「〜のことだから」は今までの経験や傾向から考えて、Bという判断をする。
「〜に限って」はAという存在を特別に信じているので、絶対にBだ。
どちらも今までの経験・傾向から判断するので、知らない人に使うことはできません。
(国・民族・会社・スポーツチームなど人を内包するものはオッケー)
ですが、「〜に限って」は特別に信じているという表現になるので「〜のことだから」に比べて強い文法です。
ですから、「ちがいない」や「はずがない」など推量のなかでも断定に近い後続句と仲がいいです。
いずれにしても、異なる文型を意味でつなげて理解するのはとても難しいですが,
すばらいい勉強になりますね。
N2文法 〜ことだし/〜のことだから
N2文法
AことだしB:AだからB
AのことだからB:AだからBと思う
どちらも意味は「AだからB」同じでしょうか?
比較①
◯明日は休みのことだし、今日は早く終わりましょう。
✖️明日は休みのことだから、今日は早く帰りましょう。
→「のことだから」はとても変ですね。
比較②
✖️彼のことだし、きっと遅れずに来るはずだよ。
○彼のことだから、きっと遅れずにくるはずだよ。
→「ことだし」は違和感あります
ここまでのまとめ。
「〜のことだし」はAとして挙げている理由以外にも何かある感じがします。Aを名目にBをする。という意味になります。
明日は休みのことだし、今日は早く帰りましょう。
→「明日休み」が直接の理由ではなく、たぶん「明日休みだから、どこか飲みにでも行きたいなぁ。じゃ、早く仕事終わらせなきゃ!」という隠れた心情が伺えます。
後件Bには〜しよう・〜したいなど話者の行動を含む文と相性がいいです。
「〜のことだから」はAには人と人に関する言葉が入ります。国や民族などもOK。
これは、いつものAの行動・様子から考えてたぶん(きっと)Bだろう。という意味になります。
この場合、少なくとも話者はAについて知っていなければならず、全くしらない(あまり知らない)人についてこの文法を使うことはありません。
だたしテレビなどで知っていれば成立します。
例:竹中直人のことだから、今回もいい芝居をしてれるに違いない。
あの国のことだから、またミサイル飛ばしてくるよ。
後件Bは話者の推量が多く、そのため「たぶん」「きっと」「おそらく」などと相性がいいです。
このようにまとめると、文言は似ていますが置き換えはほとんどできませんね。
N2文法 〜のわりに/〜にしては
N2文法
AのわりにB:Aという言葉からイメージするのと違ってB
AにしてはB:Aから期待する通りではなくB
どちらも「Aのイメージや期待と違ってBですよね。何がちがいますか」学生の質問。
比較①
◯あの人は年齢のわりに若く見える
✖️あの人は年齢にしては若く見える
→「にしては」は違和感があります
比較②
△あの人は38歳のわりに若く見える。
○あの人は38歳にしては若く見える。
→「のわりに」は違和感あります
比較③
◯人気のレストランだが、高いわりに美味しくない。
✖️人気のレストランだが、高いにしては美味しくない。
→「にしては」はおかしいですね。
比較④
◯人気のレストランのわりに美味しくない。
○人気のレストランにしては美味しくない。
→どちらも違和感はないですね。
比べてみると、
「〜わりに」は(高い/美味しい/若い など)抽象的・範囲の意味を持つ言葉の後ろに使います。
「〜にしては」は前件にAを特定できる表現を含む言葉の後ろに使います。
比較①②の例文で考えてみると、
年齢のわりに若く見える
→「年齢」という語は0歳〜100歳など範囲を持つ言葉。このとき「〜にしては」を使うと違和感がある。
38歳にしては若く見える
→38歳は特定の年齢を指す。このとき「〜わりに」を使うとわずかだが違和感がある。
比較④の「人気のレストラン」のように、特定しているようで特定していないようで……という語の場合はどちらも成立する場合があります。
遅刻する・遅れる・遅くなる
熱心な現地人先生からの質問。
彼は初級N5N4を教えており、N2で私の授業を受けています。
ですから学生先生。自分の学びを忘れないいい先生です。
「遅刻する」「遅れる」「遅くなる」の違いはなんですか?
以下は私の考察をたぶんに含んだ学生への回答を編集したものです。
遅刻する
時間を意味する「刻」の字が使われている。この場合、示している「とき」は幅のある時間ではなく一点を指す時刻。
それから考えると「遅刻する」は授業の開始時間や約束の時間など、他者と約束した時刻に間に合わない、とうい意味で使われる。
遅れる
遅刻するに比べて時刻を指定する語がない分、ひろく使うことができる。「遅刻」→「遅れる」にチェンジ可。
この「遅れる」は約束の時刻というより、「相手より遅くなった」という意味で使う。
遅くなる
形容詞「遅い」に助動詞「なる」がついたもの。(春になる。冷たくなる。などN5)
「なる」が変化を表す語なので、この「遅くなる」も変化を含む。
例えば、いつも19時に帰宅するが、今日は21時になる。→「遅くなる」と使う。なにか比較する「いつも」とともに使うことが多い。
「遅刻する」にチェンジするとおかしくなることが多い。
◯授業に遅刻する
◯授業に遅れる
✖️授業に遅くなる
△いつもより遅れる
✖️いつもより遅刻する
◯いつもより遅くなる
やっぱり例文比較が一番わかりやすいですね
N2文法 〜というわけではない/〜というものではない
N2文法
A(という)わけではない:100%Aではない。
※接続:普通形(なA=だーな/名=だーな・ーの・ーである)
Aというものではない:必ずAではない。 普通形+というものではない
「どちらも100%Aではない、ですね?なにがちがいますか?」と学生の質問。
比較①
◯ビザがあれば日本へいけるというわけではない
△ビザがあれば日本へいけるというものではない
→「ものではない」は違和感があります
比較②
◯甘いものが嫌いなわけではないけど、自分から頼むことはない
✖️甘いものが嫌いというものではないけど、自分から頼むことはない
→「ものではない」は違和感あります
比較③
◯資格をとれば教えられるというわけではない
◯資格をとれば教えられるというものではない
→違和感はありませんけど、同じではありません。
比べてみると、
「〜わけではない」は(だれ/いつ/どこ/なん)でも相性が良く、具体的な部分否定。
「〜というものではない」は前件に仮定「〜ば」を置きやすく、教訓めいたことや話し手の心情的な主張に使う。具体的な事柄には使いません。
比較③の例文で考えてみると、
資格をとれば教えられるというわけではない
→場所や生徒、教材など具体的に必要なものを言う
資格をとれば教えられるというものではない
→準備や自分の学びなど信条のようなものを言う。
この授業、「教訓」という語彙が学生になかったので「人生や仕事の勉強」と少し遠回りをしました。
「今私は日本語の勉強を教えています。文法・語彙…。人生の勉強は、例えば『努力すると、必ず自分に戻ってくる』とか『嘘をつくのは心が弱い人がすることだ』とか。これは日本語じゃないですね、でも勉強です」など簡単な教訓めいたことを提示して進めました。
N2文法 〜わけがない/〜ものか(+〜はずがない)
N2文法
Aわけがない:絶対Aない。 普通形+わけがない
Aものか :絶対Aない。 普通形+ものか。
「どちらも絶対Aない、ですね?なにがちがいますか?」と学生の質問。
比較①
◯全く準備しないで合格できるわけがない
◯全く準備しないで合格できるものか
→違和感ありませんけど、同じではありません
比較②
◯彼が時間通り来るわけがない
◯彼が時間通りくるものか
→違和感ありませんけど、同じではありません
比較③
◯あの店の料理がおいしくないわけがない
✖️あの店の料理がおいしくないものか。
→「ないものか」なにか変です
比べてみると、
どちらも絶対ない。
が、「〜ものか」はより感情的。なんなら「怒ってる」「気分を害している」ときなどと言えます。
ですから比較③は違和感がでます。
おいしくないわけがない:絶対においしくない、ということはない
→絶対においしい。
「おいしい(positive)」で感情的になることはないので、「ものか」は違和感がでます。
*ついでに*
〜わけがない/〜はずがない
同じような文型ですが、「〜わけがない」のほうが強く、「絶対ない」を表現します。言い切れない、自信がないときは「〜はずがない」。
ですから天気など断定ができないときは「〜はずがない」のほうが自然です。
◯こんなに晴れてるんだから、雨が降るはずがない
△こんなに晴れてるんだから、雨が降るわけがない(お天気博士?)
N2文法 〜たとたんに/〜かと思うと
N2文法
AたとたんにB:Aした直後にB Vた+とたん
Aかと思うとB:AのあとすぐB Vた+かと思うと
「どちらもAのすぐあとですね?なにがちがいますか?」と学生の質問。
どちらも似ていますね。接続も同じです。
比較①
◯母の声を聞いたとたん、涙があふれた
△母の声を聞いたかと思うと、涙があふれた
→違和感があります。
比較②
✖︎ほめられたとたんに怒られた
◯ほめられたかと思うと怒られた。
→ほめられたとたんは、ちょっとおかしいですね。
比較③
◯彼はふとんに入ったとたんに寝てしまった
◯彼はふとんに入ったかと思うと寝てしまった。
→どちらもおかしくないです
これは「Aかと思うとB」「AたとたんにB」がそれぞれ2パターンの「すぐに」を持っていることがややこしくさせる原因でした。
AたとたんにB
①ワインを飲んだとたんに、めまいがした
→ワインを飲んで数秒でめまい。ワインを飲んだため。
②家を出たとたんに、雨が降っできた
→家を出て数秒(か数分)で雨。家を出た、は雨には関係ない。
どちらも正しく使うことができます。
が、①の場合めまいはワインがキッカケです。②の場合、出かけるは雨のきっかけではありません。
Aかと思うとB
①彼はうちに入ったかと思うと、すべての鍵を閉めた。
→入って数秒(か数分)で鍵。入ってすぐ次。
②子供は泣いたかと思うと、すぐに笑って走り出す。
→泣いて数秒(か数分)でダッシュ。泣くと笑うは反対。
どちらも正しく使うことができます。
が、②は前件後件が真逆です。なおかつ若干のタイムラグを許します。これは極端な変化が起きた時に使う表現です。
まとめると、「AたとたんにB」の②と「Aかと思うとB」は置き換え可能です。
ただし、教科書にあるとおり「かと思うと」には制限があり自分の話には使いません。
ですから、
◯彼はうちに入ったとたんにすべての鍵を閉めた。
◯彼はうちに入ったかと思うとすべての鍵を閉めた。
◯ワインを飲んだとたんに、めまいがした。
✖︎ワインを飲んだかと思うと、めまいがした。
となります。
ちょっとややこしいですね。どちらの文型も「AのあとすぐB」ですが、「たとたんに」はAがキッカケになること、「かと思うと」は自分の話には使えない・真逆の変化、と制限をクリアするとごくたまにチェンジが可能です。
N2文法 〜にわたって/〜を通じて
N2文法
AにわたってB:A全体にB
Aを通じてB :Aの期間ずっとB
一年を通じて観光客が多い
一年を通して観光客が多い
ちがいはありますか?と学生からの質問
教科書には
〜にわたって:範囲全体にその状態がひろがっている
〜を通じて :〜の期間ずっと同じ状態
わからん。
この文型は例文次第で教師も大混乱します。かくいう私も。
おそらく厳密な使い分けをせず使ってしまいがちな文型です。
色々調べまわった挙句の一応・・・。
比較①
◯一年を通じて観光客が多い。
✖️一年にわたって観光客が多い。
「AにわたってB」の場合、Aには限定がない。
「Aを通じてB」の場合、Aをひとまとまりの単位として区切ある期間や範囲とする。
つまり、「〜を通じて」の時には何らか期間を表す言葉が来ないといけない、ということです。
例:三日間にわたって大会が行われました。
→三日間は期間を表すひとまとまりの言葉ではないのでOK。
そして「〜を通じて」は距離や範囲には使うことができず、「〜にわたって」は距離などにも使うことができます。
比較②
◯20キロにわたって渋滞している。
✖︎20キロを通じて渋滞している。
わかりやすく、「〜を通じて、は期間の名刺ね!」と理解するのがいいですね。
N2文法 〜ばかりか/〜上に
N2文法
AばかりかB:Aだけでなく、さらにB
A上にB :Aだけでなく、さらにB
ちがいは何ですか?学生からの質問です。
色々調べると「ばかりか、は程度を言います。上に、は最低か最高」という解説が出てきましたが、いまいちわかりません。
例文から考えます。
比較①
◯送ってもらったばかりか プレゼントももらった
◯送ってもらった上に プレゼントももらった
ほとんど同じです。どちらも違和感はありません。
比較②
◯遅刻してきたばかりか 教科書も忘れた
◯遅刻してきた上に 教科書も忘れた
これも同じです。違和感ありません。
比較③
△彼は優しいばかりか みなに公平だ
◯彼は優しい上に みなに公平だ
→「ばかりか」に少し違和感があります。
比較④
✖️このりんごは大きいばかりか とても安い
◯このりんごは大きいうえに とても安い。
→「ばかりか」を使うととてもおかしい文になります。
ここまで比較してみると以下のことがわかります。
◇「上に」「ばかりか」はほとんど同じ意味。入れ替え可能な場合も多い。
◇ が、比べてみると「ばかりか」の文には何らかの感情(驚き・怒り・幸せ など)が伴っており、感情のない状態形容詞の場合に使うと違和感がある。比較③の様に感情形容詞と状態形容詞を混在させて使うとやはり違和感がある。
この2つの文法の違いを問う問題はJLPTには出ないでしょう。ですが、N2レベルの学生はその違いをつぶさに聞いてきます。
まずは「同じ意味!」と伝えること、そして「ばかりか」には感情が必要だよ、と添えてあげるといいのではないでしょうか。
家族は何人ですか? 家族は何人いますか?
みんなの日本語初級1 11課 例文4
家族は何人ですか?
……5人です。両親と兄と姉がいます。
「家族は何人ですか?/家族は何人いますか?」
これは同じですか?という質問。
ちがいます。
この文型は「家族」で文をつくるとわかりにくいのです。
例1
学生は何人ですか?
学生が何人いますか?
→この文だと、同じじゃないかもと感じます。
例2
りんごはいくつですか?
りんごがいくつありますか?
→この文だと、もう違うと思いますね。
Nは+数 ですか?
Nの他には紛らわしいものはなく、単純に数を聞いている。
例 りんごはいくつですか?
→テーブルの上、もしくはバスケットの中にはりんごしかない。
Nが+数 ありますか/いますか?
Nの他にも異なる種類のNがあり、全体の中でNの数を聞いている。
例 りんごがいくつありますか?
→テーブルの上、もしくはバスケットの中には他にもフルーツがある。全体の中でりんごがいつくあるか聞いている。
「家族」という他に比べ様のない名詞だと2つの文の違いはわかりにくく、実際会話では「家族は何人いるの?」などと言うこともある。
が、日本語を勉強している学生からするとこの違いは深刻。
また文法訳読本にはこう書かれている。
How many foregners are there in this company?
(この会社に外国人が何人いますか?)
---There are five
(5人います)
じゃあ、「家族は何人いますか?」じゃないの???????
という質問でした。
日本語教育能力検定、独学。ー後半ー
メルカリで買った対策本が届きました。
ごつい。
これ全部が試験範囲で、なんなら範囲のさわりだけだとか。
重くて持ち歩けないので、補助にもう一冊購入しました。
日本語教育能力検定 完全攻略ガイド 第4版
日本語教育能力検定に合格するための基礎知識50
これで武器は揃いました。あとは使いこなすのみです。
(試験直前に過去問2年分を追加で買いました)
って範囲がクソ広い。
今まで教育関係の仕事をしていたわけじゃないから、知らない用語てんこもり。
そもそも日本語の文法なんて考えて使ってる奴おらんわ。
(い形容詞とかモダリティとかなんやねん)
勉強法はただ1つ。
書いて覚える。
私の勉強法は、完全攻略ガイドをただただノートに丸写し、これだけです。
ただし、自分が理解したセンテンスを。
2ヶ月半、ひたすら教科書を写し続けました。
仕事と仕事の間にファミレスで。家ではすぐ遊んでしまうから、喫茶店に行ったりして。
時には「おぇーーーーー」とか言いながら。
それでも日本語教育史は間に合わなかったし、過去問も1年分しかできませんでした。
しかし本番を目前にした根拠のない強気で判断。
「小論文など自分で考察する問題に重きを置いているのだから、反復知識・しかも終わった歴史の問題など出ても2問。これは捨てよう」
結果的にこれは正解で、教育史を問う問題は出ませんでした。
頭がズキズキする+豪雨のなか、試験当日。
大阪教育大学で試験がありました。思ったよりたくさんの人が受けていました。
印象的だったのがシルバー世代。
試験自体は私でも過酷だったので、シルバー世代は途中で白目になったんじゃないかと心配です。
試験⒈は慎重に慎重にやっていたため、時間が足りなくなり残り10分で15問しなければならない事態。
試験⒉は聴解、この時点で脳みそはジクジクしていました。
試験⒊、一番心配していた小論文。過去問では「なんとかっていう教授法について述べよ」が多かったのですが、この試験では「ある意見に対してのあなたの考えを述べよ」的な問題でした。よく書けたと思います。
翌々日あたり、解答速報が出ているようでしたが自己採点はせず。
忘れたころに、おおげさな分厚い封筒が届きました。
開けてみると、合格通知です。
フェイクかもしれない。
と透かしてみたりしましたが、どうやら合格しています。
慌てて自己採点したところ、おおよそ7割の正解。
心配していた小論文も模範解答とは反対のロジックを書いているので、おそらく点は入っているかと。
こうして脳みそジクジクするくらい勉強したけど落ちたと思ったのに合格しました。
勉強法としては、ひたすら書く。
あまり参考になりませんね(:
日本語教育能力検定、独学。ー前半ー
2017年8月、
「そうだ、日本語の先生になろう」
と思い立ち検定に出願。
思い立ったのは検定の締め切りは翌々日。
すぐに願書を探したけど、奈良県内の書店にはすでになく隣の大阪府大東市の本屋に取り置きをしてもらい翌日購入。
翌日の月曜日郵便局で為替購入して当日の消印有効で発送。
そこらから参考書を書いました(メルカリで)。
試験までは実に2ヶ月半。
独学で検定に合格した人はブログなどを探しても3ヶ月は勉強した模様。
だから今回は様子見、来年合格しようというやんわりした気持ちで始めたけど。
検定料 高。
(10,800円)
できれば一回で受かりたい。
ここから地獄が始まりました。
後半へ続きます。
日本語を教える。
日本語を教える仕事、というとすぐに言われる。
「じゃあ英語が上手なんですね」
そして陰で思われる。
「私でもできるわ、日本人なんだから」
じゃあやってみろ。
とは思わないけど、日本語を外国語として教えるのが日本語教師の仕事です。
そして私は日本語のプロフェッショナル、なのです。
ですから、英語は使いません。
日本語で日本語を日本人以外に教えます。
「あーそれは、そういう感覚あるじゃん?」
「使い分けなんてフィーリングだよ」
なんて絶対に言うことはできません。
ここでは↑のように言ってはいけない、そんな中苦心して掴んだ日本語文法をたまに書いています。
私もたくさんの先人のブログやYouTubeに何度も助けられました。今後の人たちに繋げることができれば、という細々したブログです。