検定だけ日本語教師の悩み
日本語教師として働き始めて数年ほど経ちます。
先にも書いていますが、私は養成講座を受講しておらず検定合格からこの道へ入りました。
「日本人だから誰でもできる仕事でしょ」と思われがちなこの仕事、養成講座に通わず教師になった道中を振り返ってみたいと思います。
日本語教師を目指したきっかけというか動機はかなり不純なものでした
(動機はまた別の話)。
当時自営業のような仕事をしていたので、お金にも時間にも余裕がなく検定から教師になる道を選びました。
当時の異常なモチベーションと勉強方法はこちら。
合格したものの、どうやって就職活動をしていいかもわからず、とりあえずIJECの合同説明会に参加しました。
そこで初めて、養成講座を受けていないことの重大さにぶつかりました。
用語
まず、当たり前のように飛び交う用語がまったくわからないのです。
ってなんですかー?
「みん日」がみんなの日本語を指すことを知ったのはそれよりさらに先です。
「検定合格しただけで…」のあとに続ける言葉も見つかりませんでした。大体の学校は採用試験に模擬授業がありますがまず日本語の授業を見たことない私にとって、これはとんでもない難関でありました。
「もし今お持ちでしたら、教案をみせていただけますか」なんて言われたときは
「はて教案…」となり、そんな私を見たときの担当の方のあっけにとられた顔はいまでも覚えています。
合同説明会では各学校特色をアピールするのですが、知識皆無のわたしにはそれすらもピンとこず。
「うちはみん日じゃなくて、できる日本語をつかっているんです」
「うちでは教案もスライドも全て用意されています」
「うちでは●割の学生が大学に進学しています」
へー。以上思いようがないのです。
結局模擬授業不要、面接不要というかなり変わった学校に採用していただき、非常勤としてのわたしの日本語教師キャリアはスタートしました。
採用してくださった学校には今もこれからも感謝しかありません。
授業
そもそも私が持っている知識が異常な短期間で詰め込んだ知識だけだったので、授業が始まってからは地獄でした。
体系的に文法を学んでおらず、教科書の構成もしらない。授業見学は2回ほど。教案のチェックはなし。
結局学生に教える1週間前に自分が勉強している、という有様でした。
ます形しか勉強していないクラスに辞書形ぶちこんだり、「大きな家」と禁句連体詞を連呼し学生に「大きい、はな形容詞ですか」と混乱させたり。挙げればきりがありません。
その学校の専任の先生のスタイルが「とりあえずやってみて、あとでフィードバックします」。そのフィードバックに怯えたものですが、内容はというと
・スライド画面いっぱいまで文字入れると見にくいよ
・教師が動きやすいように少し机の位置変えた方がいいよ
などなど、文法知識やクラスコントロールについての指摘がほぼありませんでした。
食い下がって聞いてみると
「だって経験がないんだし、そういうのはこれから積み上げていくものでしょ」。
この一言で、どれほど心がかるくなったかわかりません。
秋から別の学校のかけもちも始めました。
ここがまた全くやり方の異なる学校で、半年間教案を毎週提出しなければならなかったのです。
未習語はつかわない・学生の間違いをわらわない・教案に書いてないことはしゃべらない・ホワイトボードはもっと計算してつかうように…などなど。
ひとえに、新米教師を育てるためにという親心からなのですが、それまで教案チェックやきついフィードバックなく、直されることに慣れていない私にとっては苦痛の連続でした。
今となって思うのは、養成講座の内容を実践の中で教えてもらっているようなもので本当にありがたいことでした(当時はけっこうイライラしてました…先生すみません…)。
そんなかけもちを続け経験値を高め、授業前日に毎週「今週こそ死ぬ…」と思いながら準備していたのはいい思い出です。
わたしの先生
合同説明会では必ずどこの養成講座出身か聞かれます。後から考えるといわゆる「どんな先生に師事していたか」ということなのでしょう。
当たり前ですが私には先生がおらず、これは後々大きな不安につながります。
私の場合、上司にあたる?専任の先生、先輩非常勤や同僚非常勤の先生に恵まれていたので授業内容の相談や授業の愚痴、情報交換などは事足りていました。
ですが自分にとって「教えるということは、学び続けること」であり、先生がいないということが恐怖に思えてしかたありませんでした。
これは以前まったく別のジャンルの養成講座で学んだことですが、自分にとっての指針・戒めであります。
今考えるとおかしい話ですが「だれか先生になってくれないかな…」とそのために養成講座に行こうかと考えるくらいでした。
この悩み、今はしっかり解決しています。
変な巡り合わせですが、前職のお客さんで飲み友達のオジサマが実は超ベテランの日本語教師でした(この道50年とかいうレベル)。
しかもいまだに現役で、古い教授法にとらわれない人。
日本語教師になってから初めて飲みに行ったとき、驚きました。
「最近、どうやったら外国人が漢字をおぼえるか、ずっと考えてるんだよ」
大学の日本語教育カリキュラムを立ち上げ、養成講座で教えて、海外の大学に客員で招かれて尚、教え方を考えていました。
飲みの最後、「あんた俺の弟子な、最後のやつ」といわれ、私の悩みは解決です。
そのまま私はインドへ行き四苦八苦しながら日本語教師を続けています。
実際そのオジサマに何かを聞くことはありませんし、ずっと連絡はとっていません。
が、「わたしの先生」がいるというのは、こんなにも心強くなるものかと実感しています。
「検定合格?!すごいですね!」なんて言っていただきますが、それなりに感じたことを書いてみました。
結局書いていて思うのは、どちらにしても登る山はおんなじで登山口が少々異なるだけだということであります。