にほんご ちゃん

先生は違いを求められがち

辞書をひく と いうこと

いまだに紙の辞書を引いている。

学生や現地の先生、そういえば日本でも同じ学校の先生に言われた。

 

「それ辞書ですか?辞書ひいてるんですか?」

 

たぶんスマホでいくらでも早く簡単に、なんなら発音まで教えてくれるのに、

なぜわざわざ時間がかかる辞書なんか、

と思われている。

 

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とっさの時はもちろん辞書アプリを使う。便利だし、単語ではなく文としてフレーズとして変換してくれる。

 

便利。とても便利。

 

じゃあ何故、辞書を引くのか。

 

それは、辞書には発行に携わった人たちの責任があるから。

 

私の前職は印刷関係で、それが大きく関わっている。

 

巻末の奥付には発行年月日、編集組織、編集責任者、印刷会社の名前が載っている。

それは「この日に私たちの責任でこの本を発行しました」という証。

一度印刷したものは、形を変えずに・気付かれずに訂正することはできない。

間違いがあった場合、訂正シールや正誤表などいくつか対処法はあるが「ここに間違いがあった」とわかるものが多い。

ウェブサイトのように、知らない間に訂正作業がなされていることは絶対ない。

 

だから編集する人たちはもう嫌というほど内容を確認する。

校正という確認訂正作業をなんども何度も繰り返し、「印刷してOK」となると原稿にサインをして印刷会社に渡す。

 

「あーーーー!サインした!もう見れば見るだけ訂正箇所がでるから、もう見ない!印刷してください!!」と言いながらサインする編集担当の方を何人も見てきた。

 

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右下が校了のサイン(別サイトより拝借)

 

原稿が社に持ち帰えられると、最終確認の部署が原稿をチェックする。

そこでOKがでると印刷へと進められる。次に進むと、ほとんどの場合で変更はできない。

そこの部長や次長がドアの隙間からこちらを覗き、「行くでー。もう次行くでー」と言いながら原稿ファイルを印刷の部署へ持っていくのを何度も見てきた。

 

印刷するときの汚れをチェックする係の人が、汚れではなく誤字を見つけたとき。

印刷の課長や係長が「俺たちの仕事やないけど、見つけてしまったから。お客さんに連絡してあげや」とめんどくさそうに言いに来てくれたことが何度もあった。

それをお客さんに連絡すると、まるで病気かなんかを助けたかのようなお礼を言っていただいた。

 

そうやって、たくさんの人たちの責任が1冊の本を作っている。

その本は、教える仕事にとっては欠かすことができない武器のようなもの。

だから私は教える時に必要な言葉は辞書を引く。

前職で見てきたことが、いま私の仕事の盾となり矛となっている。